会社沿革 1/2ページ
鋼製船殻建造請負業で 気仙沼を拠点とする 紀州工業株式会社を設立。 鉄工組立部・溶接部のみならず、板曲げ部・現図部・設計部までも全て一括した 請負会社として統制を強め、先駆で卓越した建造工法をもって 宮城・三重・愛知方面 を主に中小造船所の鋼船建造技術発展と小型鋼船造船界のレベルアップ゚を促進。 数多くの船殻を建造し、 造船所の影の力となって精進し、 基盤をつくりあげました。 としてこのアルミの仕事が多くなるとみて 紀州工業鰍フアルミ加工部に川口工場を竣工、 その後アルミ加工・溶接・曲げ技術を完全習得後、 昭和55年に アルミ製品の品質向上と需要拡大に使命と目標を掲げ 子会社(有)紀陽工業を設立。 アルミ高速艇の開発に着手。 60年に自社直接受注の 7トン型アルミ製高速遊漁船 (かくふじ丸)を建造。 各方面・業界に、 第一隻目から 仕上がり・性能に高い評価を得ました。 その後 大浦造船工場を増設し小型漁船をメインにして連続受注が続き この頃から 紀陽アルミ漁船 の確固とした道が定まりました。 自覚と責任を持って、 有限会社紀陽造船に社名変更致しました。 以後 2トン船から19トン船まで、 これまでのアルミ船の豊富な自社データーを基本 に、 当時の小型造船所ではパソコンすら無い時代に、 いち早く2・3次元CAD導入し デジタル化する事により省力化を果し、 更に独自の船型開発・建造法にトライし、 他社の先を行く建造技術とともに、 紀陽アルミ漁船の大きな付加価値として 使用にマッチした船型の良さ・デザインの個性を 強く主張することができました。 平成3年には自社初の宮城県松島向けの 19トン型双胴型旅客船 (マリンスター) を納船。 平成7年には 3次元曲面強調デザインの 19トン型料理観光船(磯崎丸) を納船。 難度の高いアルミ漁船で培われたものが この分野にも生かされ、 大手高速艇メーカーとは異質の建造法で美しく仕上がりました。 これまで3隻の 19トン旅客船は各造船関係機関に紀陽造船の名を強く知らしめました。 順風満帆に来れたわけじゃありません、 数々の困難・試練を乗り越え、この産業の火を 当社が先に消してはならないと必死になって 地元に根ざした企業としての責任を 果たして来ました。 そして掲げた事<次代に残す漁業に貢献する>これを信念とした時、 オホーツクの栽培漁業船に紀陽アルミ漁船が認められれて、 ホタテ漁船オンリーの 近年の連続受注を授かり ホタテ漁船の紀陽造船の名を示す事が出来ました。 |